恋愛をしたければ恋愛なんか今すぐやめなさい!【後編】
恋愛コラムを書くように、と仰せつかって乱筆をさらすことになりました。
乱筆というのは謙遜で言っているのではなく、ガチの乱筆です。本当の乱筆を見せてやりますよ!
まくるめと申します。短い間ですがよろしくお願いします。
どうぞしばらくご辛抱ください。長い人生のほんの数分のことです。これが済んだらたぶん二度と読まないで済みますから、よろしくお願いします。お願いしましたよ。
さて、前編では恋愛というのは繁殖行動の一種であることを話しました。
>>「恋愛をしたければ恋愛なんか今すぐやめなさい!【前編】」から読む
後編では、文明の力によって危険な肉食生物に襲われるなどの脅威を取り除き、安全を享受しているにもかかわらず、人はなぜ苦しむのかという部分からお話していきます。
脅威を排除しても性による競争からは逃れられない
人が脅威を排除し、安全を確保していながらも苦しんでいるのはなぜなのか。
これにはいろいろな答えがあるでしょうが、安全を確保しても同種との競争にさらされるという、生物の宿命が理由にあると考えられます。
平和を得た生物は、内側から競争を生み出すのです。
これこそ、ブッダがかつて見抜いた「生きることは苦」の姿ではないでしょうか?
つまり、生命というのは本質的に救済を拒む、そういう存在なわけですね。
そして、皆さんが血眼になって(こんな乱文を読んでまでね!)追い求めている「恋愛」の正体も、この闘争の文明化した(近年ではとくに資本主義化した)形態ということは、明らかです。
恋愛なんてすごいものでもなんでもない
ようするにですね、恋愛というのは、生物的な視点で見ればえらいもんではないんですよ。
単に同種間でセックス競争してるだけなんですから。
だから、恋愛なんかやめたらいいと思いますよ。
みなさんもキラキラした恋愛とかやめて、生物について学びましょう。
生物的な視点に立ち、人間をただの生物として認識し、その生態を考えることによって、生きる苦しみを客観視した仏陀の視点を得ることができます。
仏の視点で見れば、クジャクが羽根をひろげるのと、変態おじさんがコートの前をひろげることに本質的な差が見いだせなくなってきます。
人間のオスがプロポーズでダイヤモンドの指輪を差し出すのと、カワセミのオスがメスに餌をもってくるのにも本質的な差は見出せません。
クモのオスが自分の網に射精し、その精液を前腕で吸い取ってメスの体内に入れようとするのと、デートでちょっと期待して一応コンドームを荷物に加えておく人間のオスにも本質的な差は見出せません。方向性では逆だけど。
仏の目にはみな同じ。
ぜんぶ同じように下世話です。
ぜーんぶきたない。
わかりましたか?
恋愛はお上品なものでも立派なものでもないんですね。やめたらいいと思います。
一方で、生物学とか仏教はすばらしいということです。
学問か信仰をやりなさい。恋愛なんか楽しみのピークが人生前半で過ぎるんだぞ?
これからは学問か信仰です。そうなの。
この記事を読んで、学問か信仰に生きる決意を固めたという方は、ここで読むのをやめてください。あなたは正しい道を歩んでいます。
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