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女性におけるセックスレス問題と愛情認識について(前編)

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はじめに

セックスレス大国と呼ばれている日本。

2020年に発表された性の大規模実態調査「ジャパンセックスサーベイ2020」では、婚姻関係にあるカップルの51.9%がセックスレスであるとされている。

実際、僕の元にもセックスレスで悩む女性からの相談は来るし、最近話題のAbemaオリジナルドラマ「30までにとうるさくて」でもセックスレスについて取り上げられていた。

「30までにとうるさくて」に関してS N S上で多くの共感の声が見られることからも、セックスレスは最早ある種の社会問題なのではないかと感じる。
また、セックスレス問題の深刻な点は、他人に相談しづらいところにある。

つまり、僕らの見えないところで、セックスレスの悩みを他人に相談できず頭を悩ませている人が多く存在している可能性も高い。

以上のことから、電話相談などを通じて女性の悩みに触れる機会が多い僕が、セックスレスについて述べていくことにはそれなりの意義があると考え、この文章を書くことに至った。

今回は「女性におけるセックスレス問題」とテーマを限定し、個人的見解を述べていく。
そして、そこから関連させて、愛情認識をどのように行なっていくかについても触れていきたい。

女性は何を悩んでいるのか

ではまず、セックスレスの悩みを具体化していきたい。
僕は、セックスレスの悩みは以下の7つに分解できると考える。

①女性として見られていないのではないかという不安
②相手が自分のことを愛していないのではないかという不安
③上記①②による自己価値の喪失の予感
④相手の存在や肉体を物理的に感じられないというストレス
⑤性欲を発散することができない状況によるストレス
⑥相手に対して性的な魅力を感じることができない(子供がいる家庭で多い)
⑦セックスの相性が悪い、相手のセックスに思いやりがない

この中でどの悩みが多いのかは正直分からないが、今回は①②の悩みについて、僕なりの見解や部分的解決策を述べていきたい。

女性として見られていないのではないかという不安

まず問いたい。

「あなたはなぜ女性として見られたいのだろうか?」
「どうしても女性として見られたいとして、セックス以外でも女性として見られていることを認識する手段はないのか?」

少なくともここはしっかりと自分で分析する必要があるし、おそらく「女性として見られたい」と考えている人の多くが「女性として見られる=大切にされている」と捉えている気がする。

しかし、女性として見られることと大切にされることは別である。

大切にされるというのは、女性として見られることではなく、一人の人間として尊重してもらうことだと僕は考える。

相手を女性として見ることは性欲の一種であるが、一人の人間として尊重することは意思であり教養であり生き方である。

それから、「異性として見られること」と「人として尊重してもらうこと」は水と油のような関係にあり、共存しにくいという性質を持っている。
(もちろん共存する場合もあるのだが、それは稀であり、片方が高まると片方が弱まるという位置エネルギーと運動エネルギーのような関係にあるのだ)

つまり、「女性として見られること」と「人として尊重してもらうこと」を天秤にかけたときに、どちらが自分にとって重要かどうかは知っておくべきであろう。

付き合う人を変えてみるのも1つの手

もしもあなたが「女性として見られること」に重きを置いているのであれば、僕はクズ男をお薦めしたい。(クズ男の詳細については僕の著書「クズ男見極め教本」を読んでほしい)

なぜなら、クズ男は相手を人として尊重することには欠けているが、女性を女性として扱うことには非常に長けているからだ。

そもそも、クズ男と付き合っている人でセックスレスに悩んでいる女性をあまり見たことがない。
「セックス=理性や思考の排除」というように考えると、理性や思考力が欠如していて、性欲も強いクズ男とセックスレスになることは確かに考えにくい。

一方で誠実男と付き合っている女性ほど、セックスレスで悩んでいるという印象だ。
これについてはいくつかの理由が考えられる。

まず考えられるのは、理性的で相手を気遣うことができる誠実男にとって、理性を外して欲望を解放するセックスは困難性が高い行為になり得るということ。

あるいは、そのような誠実男は自己中心性が低く、「セックスをしたならば相手を満足させなければならない」という義務感のようなものを抱いていて、セックスに対するハードルが高くなっていることも考えられる。

つまり、「女性として扱われたいのであれば刺激的なクズ男を選べばいいし、人として尊重されたいのであれば穏やかな誠実男を選べばいい」というのが僕の個人的な見解だ。

クズ男を選んだ場合は女性として扱われることは保証されているが、長期的・安定的な関係性は望めない。
誠実男を選んだ場合は、長期的・安定的な関係性は保証されているが、女性として扱われることは望めない。

もちろん、女性として扱ってくれて人としても尊重してくれる男性も存在はしているが、このような男性と付き合うためには、自分の価値をだいぶ高める必要があるし、出会うまで多くの時間と労力を要するだろう。

恋愛に限らず人生というのは、何かを諦め、何かを犠牲にしなければ、何も得ることができないのだと思う。
したがって、「付き合う人を変える」というのが一つの解決策になるだろう。

付き合っている人とのセックレス解消方法は2つある

しかし、これだと「付き合っている人とのセックスレスの解消法が知りたい」という声が飛んできそうなので、もう少し建設的な解決策を考えていこうと思う。

ただその前に、まずあまり効果が出にくい解決策について述べる。
それは何かというと「話し合い」である。

僕は、話し合いとセックスレス問題の相性は最悪だと考えている。
なぜなら、先ほども指摘した通り、セックスは理性や思考の排除であり、つまるところ本能的な行為であるからだ。

したがって、話し合いで解決できるような領域ではないし、話し合いで解決できるのであればそもそもセックスレスではないのだ。
もしも話し合いが成立するような状態があるとするならば、それは「相手もセックスレスの解消を積極的に望んでいる場合」のみだと思う。

それから、僕が聞く限り、そういったセックスレスについての話し合いは、つい女性側の意見の押しつけになってしまいがちなケースが多い。
そのような話し合いだと彼氏や夫はますます心を閉ざしていくだろう。

そうなると僕が思いつく解決策は2つしかない。
一つは「オナ禁の強要」、もう一つは「非日常演出にコストをかける」だ。

まず一つ目の「オナ禁の強要」であるが、これは何かというと、彼にオナニーすることを禁じさせ「性欲を発散する方法がセックスのみ」という状況を作ることだ。
かなりの力技ではあるが、セックスレスの解消は大きく期待できる。

ただ、オナ禁は相手の同意と意思に依存しているので、そこが一つの問題となる。
また、オナ禁によってセックスレスが解消できたとしても、そのセックスは単なる「性欲の発散」でしかなく、「女性として見られたい」という願いの根本的な解決にはならないことも考えられる。

次に、二つ目の「非日常演出にコストをかける」であるが、これはセックスレス問題に限らず、あらゆるカップル、あらゆる夫婦がお互いの関係性をよくしていくためにやるべきであると思う。

セックスレスになる一つの理由としてマンネリ化が挙げられる。

日常と隔離された非日常性の時空を演出することで、マンネリ化の解消を期待できるし、ドキドキを感じられるかもしれない。

例えば、一緒に恋愛映画を観に行ったり、二人の思い出の場所に出かけたり、遊園地に行ってみたり、いつもはしないような凝った料理を二人で作って食べたりするなどだ。

おそらく、現在セックスレスになっている人たちも付き合い始めはそうではなかったはずだ。

したがって、丁寧に時間をかけて付き合い始めのデートを再現することで、当初の雰囲気を呼び起こすことにつながる。

夫婦であれば、毎月カレンダーに「夫婦の日」を書き入れ、事前に保育所や親族に子供たちを預ける手配をして、独身時代の休日のように昼間からデートをすればいい。
多少面倒かもしれないが、セックスレスの解消のためにはこれくらいの努力が必要となるだろう。

>>「女性におけるセックスレス問題と愛情認識について(後編)」を読む

misiru

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