恋愛をしたければ恋愛なんか今すぐやめなさい!【前編】
恋愛コラムを書くように、と仰せつかって乱筆をさらすことになりました。
乱筆というのは謙遜で言っているのではなく、ガチの乱筆です。本当の乱筆を見せてやりますよ!
まくるめと申します。短い間ですがよろしくお願いします。
どうぞしばらくご辛抱ください。長い人生のほんの数分のことです。これが済んだらたぶん二度と読まないで済みますから、よろしくお願いします。お願いしましたよ。
恋愛とは「繁殖行動」の一種に過ぎない
恋愛というのは何でしょうか?
この恋愛コラムにとって究極ともいえる問いに、わたしは本質的な答えを持っています。
それは「繁殖行動」です。恋愛というのは繁殖行動の一種なのです。
えっ? 繁殖につながらない恋愛もあるでしょうって?
そうですね。あなたの言う通りですが、今回は議論を簡単にするために、本稿においては無視してよいものとします。
百年単位のタイムスケールで見た場合、誰が誰を好きになってどうとかそういうのは、あまり意味がないからです。
さて、生物にとって、繁殖行動とはなんでしょうか?
答えは闘争です。
集団的な秩序だった闘争、すなわち戦争です。
動物にとって、繁殖行動とは戦争にほかなりません。
同族の殺し合いを少しエレガントにしたものにすぎません。
生物たちはエレガントな殺し合いをしている
夏のセミを思い浮かべてください。
セミのオスはなぜあんなに大音量で鳴くのでしょうか?
そう。彼らは繁殖するために鳴いています。
彼らは鳴くことによって繁殖相手、つまりパートナーを見つけます。
もちろん、見つけられないセミもいます。
あるセミが子孫を残すということは、ほかのセミが子孫を残す可能性を奪うことですし、繰り返しになりますが、それは多少エレガントな殺し合いにすぎません。
少し具体的な話をしますと、セミのオスの四割弱ぐらいは子孫を残せずに死にます。
一方で、複数のメスと子孫を残せるオスもいます。悲惨ですね。
このような、つがいの選別による淘汰を「性淘汰」といいます。
自然界の競争というと、たとえば肉食獣などに襲われて食われるとかを想像するかもしれません。
が、肉食獣などに襲われて食われるような危険をくぐり抜けても、生物に安息は訪れません。
なぜなら、危険からは逃れられても、前述のセミのように子孫を残せるかどうかの競争、性による競争が待っているからです。
われわれ人類は文明の力によって、危険な肉食生物に襲われるなどの脅威を取り除いてきました。
今晩、肉食動物に襲われることを心配して寝るという人は、これをお読みの淑女の皆様にはいないでしょう(たぶん)。
しかし、他の野生動物などではほぼあり得ないような安全を享受しながら、なぜ人は苦しむのでしょうか?
人はどうして苦しむのか、その答えは後編で
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