結婚式なんて、あの日までいらないと思ってた
目次
「結婚式について書いてくれませんか?」
25歳を過ぎた頃から、そんなお題をもらうことが増えたが、私はそのたびに「私、結婚式に興味がまったくないので」と断ってきた。
結婚願望はあるけれど、結婚式のことを考えると心が重くなる。
私は大勢集まる場所が苦手だし、自分が話題の中心になるのも嫌いだ。
「みんなに見せるようなモノなんて私には無いよ〜」とおどおどしてしまう。
当時はほとんど結婚式なんて行ったことがなくて、先輩たちのSNS投稿をボーっと見ているだけだったけれど、今や誰もがTwitterやFacebookやInstagramのどれかをやっており、様々な人の結婚式を覗き見ることができる。
キラキラしたドレス、豪華なチャペル、荘厳な雰囲気。
どれも美しい景色だったけれど、それは自分と違う世界のことのように思えて、どの投稿を見ても、自分と重ねたことは一度もなかった。
そんな価値観に変化があった26歳
そんな価値観がゆっくり溶けて消えてきたのはごく最近で、変化を促してくれたのはやはり周りの友人達だった。
というのも、26歳のはじめごろから本格的に身近な友人の結婚式に参加する機会が増えてきたのである。
真っ白なドレスを着て微笑んでいるのが、SNSで見ていたような人たちではなく、大学時代から知っている友人になるだけで、こんなに感慨深さが違うものなのかと驚いた。
手元にあるメッセージや、テーブルに置かれたちょっとしたプレゼント、お花、衣装、ウェルカムボードというものは、単に豪華なものを用意することで結婚式の価値が上がるわけではなく、”その人らしさが溢れている”ということが素敵な結婚式だと感じさせるポイントということを知った。
友人が、親御さんに感謝の言葉を述べ、新郎新婦が並んで立つ背中を見ることがこんなにも感動ものなのかと気付いた。
そしてそれらが感動的なのは、「大事な家族」「友人」に向けられたセレモニーだからということがわかった。
結婚式は「私が主役セレモニー」じゃない
結婚式を遠巻きに見たり、SNSを介して見たりすると、「結婚のお披露目会」のようにしか見えないかもしれない。
実際その側面はもちろんあるけれど、実際に結婚式へ参加して感じたのは、「お世話になっている人たちへ、ふたりからの感謝の気持ちを伝える場」であるということ。
結婚式に参加していると、本人たちが主役の発表会というよりは、周りの人への感謝の気持ちが溢れる空間だと感じることが多いのだ。
美味しい食事や挨拶とともに、ふたりの自己紹介やその人達をよく知るひとからのプレゼントがあったりする。
現代においては、結婚式も多様化し、”こうあるべき”みたいな考え方もじわじわとなくなってきているような気がする。
私が参加した結婚式も、参加している人数も形式もバラバラだ。
ひとりの社会人、いわゆる”大人”として生きてみると、自分だけでは解決できない問題がたくさん起きる。
答えのない悲しい出来事を聞いてもらったり、気晴らしに付き合ってもらったり、一緒に仕事をしたり。
だれかと協働して成立する瞬間がたくさんある。
「みんなに自分を披露する場」と考えていると気後れしてしまった私も、これまで支え、助け合ってくれた人へ感謝を伝えるための場と考えるならば、結婚式をやってみたいと少しずつ考えが芽生えはじめている。
お気にいりの誰かと人生を進む決断をすることができた感謝を込めて、大事なひとたちをもてなせたら。
いまはそんなふうに、結婚式のある未来に思いを馳せている。